peach [拒闲聊]的美篇

peach [拒闲聊]

<p class="ql-block">被留下的弥漫、浸润…未来</p> <p class="ql-block">息子が豚カツ、海老フライやりながら、私と交わした会話:“パパがフライする時に見ていて良かった”。夕飯の時に毎日パパの小さい写真(遺影)の前に、小皿に、今日はフライと蜜柑。</p><p class="ql-block">令和3年6月15日、旦那がなくなった。</p><p class="ql-block">3月末に食道がん診断され、三ヶ月もたってない。治療(放射線と抗がん剤)結果は良かったと確認できたばかり。</p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">二人の夕飯しながら、彼が録画した番組を観ている(生前決めた番組の録画、今も続いている)。</p> <p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block">4月10日ぐらいから治療初め(放射線と抗がん剤)5月末迄最初一段落の治療終えた。経口食事できず、入院し、<span style="font-size:18px;">6月2日から</span>、高栄養剤点滴しながら在宅治療に変え、4日のお昼、息子と会話しながら、彼が作ったチャーハンの1/3を食べて、その後御下がりの初物:桃🍑を力いっぱい費やし、食べ終えた。これは人生の最後に食べたもの、家族への愛情。</p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">通夜、お葬式は安国寺の生野ホ−ルにて行った、住職とお講師三人が従事し、信者や親戚や当時の会社の同僚たちも参列してくれた。</p><p class="ql-block">通夜終えた後に独り背が高い男性がまだご遺体から離れていなくて、“若い頃、彼に一言かけられ、いまでもはっきり覚えている、当時は仕事でアメリカに行った時”のお話しを聞き、 もう一度主人を見て、尊厳がある良いお顔だ、と私が頷いた。</p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">式場の<span style="font-size: 18px;">生野ホ−ルは30年前ぐらい父生野利三が1000万円の寄付で、名付けられたそうだ。</span></p> <p class="ql-block">二、三、四~七日忌、初盆、百箇日は今月の22日;すべてのお回向は彼のと此れからの私(私達)のよい未来に向かい、仏様に感応道交、哀愍納受である。</p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">四人男の子の長男で、幼少時よくお母様に色々な服着せられ、人形扱われと(嫌?)昔話をした。父と母は沢山の縫子を雇い洋裁の商売した。人様より数多く定期的にSELL催し、その上、モデルさんを招き、 店にファッションショ一までしたらしい(倉庫にあった写真をみた:洋服のデザインもモデルさんも今で見ても時代遅れなもなく、品があると感動した)。</p><p class="ql-block">冬の22 :00閉店、長男だから寒かったがしゃた下ろしに;配送や催しの手伝いなど(広告用の文字書かされて、下手で結局ずっとお父様が自らした)。戦後の日本代表できる、活きがある、商売のお家だと自然に映画のシンの様に浮かんで出てくる。</p><p class="ql-block">小学校の時にお小遣いもらいおやつ(さつま揚げ)買って食べ以外は漫画好きだった話もあった。住吉公園?住吉大社?バケツ釣った亀いっぱい持って帰り、お父様に怒られた。路地で野球なども楽しい思い出ばかりだった。</p> <p class="ql-block">小学校高学年の時に理科先生の影響で、電気の事好きだった、家にも実験して、お母様に怒られ、危険(爆発?)だったヤネ。お勉強はできる、漫画や野球やラジオ落語なども好きなお兄ちゃんだった。</p><p class="ql-block"><span style="font-size:18px;">達彦様は学生時代から会社に勤め、家業に就かない事に両親は止めなかったらしい;日頃厳しい父が大学受験通った息子の事を嬉しくて、ほぼ1日中商店街に立って、顔知らない人たちにも言い伝えした;この事で一生、父の愛情に頭上げられないと彼がそう話した。(父が社会に貢献したと認められ,総理大臣から黄綬褒章 授与された)</span></p><p class="ql-block">大学で先生(教授)の課題研究にバイト(助手?)して、会社勤めの長い間(情報システム開発)にも、仕事で母校行くと言うお話しは何回も耳にした。彼の人生の中に憧れでもあり、大きな存在だと言えるだろう。</p><p class="ql-block">今まで見たことない若い頃の写真(会社勤め時の名刺の下に置いた):儒雅、正統、先鋭,意気揚々も(も?)妻である今の私もこういうお方なら遠い存在だろう?</p><p class="ql-block">横の写真は二番目のしたの弟だ、彼が41歳の時に胃癌で亡くなった。当時彼の(弟)写真(別の1枚)ずっと壁掛けにした。言葉は語らなかったけど、部屋内の雰囲気、さみしい気持ちも今でも忘れていない。</p> <p class="ql-block">逸話:</p><p class="ql-block">勤め初めに、社寮から帰宅し、父がひどくダニにやられた息子をみて、会社に手紙を送った、怒り以外、指導もしたと言う話も有った。</p><p class="ql-block">私なら父上に止めるにお願いするだろう;会社に戻ったら、人目に気がするのに嫌だ。会うのがなく、しなかったけど、いくつの話を聞き、正統的な親子の絆だ~と感心した。</p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">お仕事をまっとうし、何回も聞いたお話:会社に儲けさせるのは私の仕事だ。</p><p class="ql-block">今になって、私は気付き、達彦さんの特徴でもあり、純粋に決心するという事ができる人だ。</p><p class="ql-block">情熱的に目標(目的)を持って、仕事の計画、進み具合を把握し、リーダー役に力を尽くした輝いたサラリーマンだった(人に困らせるのパフォーマンスも生涯達人だ)。</p><p class="ql-block">人生の最後(亡くなる11日前)、在宅治療の看護婦さんにお仕事時代の写真を見せた。体の衰弱、心境、すべて、私が理解し:もっと私に自慢し~亡くなって今も全部聞いてあげる、永遠に聞いてあげられる。</p><p class="ql-block"> “卧薪尝胆”って知ってる?と聞かれた事を思い出した。多社と競争し、パソコンを作る、厳しい状況だとその時に彼の仕事の大変さもそう感じだった。</p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">一緒に従事した母校の同僚からのお手紙。働きざかりの模様、初めて知った。</p> <p class="ql-block">海外出張時観光のお写真。</p><p class="ql-block">彼と出会った時期(?)。</p><p class="ql-block">見合いは何回も進められ、本人は気がなかったらしい。結婚相手ぐらいまでの彼女がいたものの、両親と(?)うまくかみ合わず、結婚と言う事を無くした,けど(自由奔放の方が良い?)それに費やすお時間もなかっただろう?</p><p class="ql-block">大学の時に魚釣りと出会って、勤めてる時も、病気に診断されるまで何十年に渡って週一ペース(暑さも寒さこだわり無く)以上釣りをした;働き盛りの時期、年に200回以上の話も?</p><p class="ql-block">釣りしてから会社に出勤、重役なのに、出世の自慢話は容易に出来ないけど、釣り名人の方がご自慢の極楽だ💧😃♨️</p><p class="ql-block">それと当時(1994.5年)スーパーマリオというゲームもとてもランクが上で;観戦だったの私が、究極な状況(ゲーム)に対し、集中力と負けないという性格の凄さにかんじんだった。独身生活長かったから、ゲームも良い相手して貰っただろう?</p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">亡くなる前、釣り友とのメールのやり取り。</p> <p class="ql-block">人生最後の十年(?)安国寺に御奉公になり、何もわからないまま、組長役に、それから教区長役に任され、第二回目の職の様に、色々なこと(年初めの初総講や納涼大会などから、誓願の達成まで)を工夫し~とてもできたというより、彼らしいの仕事ぶり、印象的だった。おかげさまで、共に充実な時間お過ごし(他寺院参詣も鑑賞も御有志も)良い思い出ばかり出来た。</p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">他寺院参詣重ね温泉♨️~観光も二人の最高な充実だった。</p> <p class="ql-block">潮干狩り、スキー🎿など、優しくこちらの好き勝手(?)を聞いくれた、有難う❤️</p> <p class="ql-block">“一級”と宗門に評定され、七級の私の分と並べ、素直に喜んでた。</p><p class="ql-block">父上の功徳の分も加算されただろ?</p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">いつ気づいたか、わからない、なくなった直後?昨夜も、毎日、寝室に入って間もなく、その時間帯に会いに出てくる(音で示す)。</p><p class="ql-block">“速く寂光に帰って”、祭壇の遺影に言い付けた。その日の夜、いつもの音がならないと気付き、瞬時、涙が止まらなく、瞬時彼の音が来た。</p><p class="ql-block">亡くなってから、毎晩だ。この状態も毎日会っている、“素晴らしい”と私がそう思って言っていた。</p><p class="ql-block">四十九日は亡霊はお家にいるらしい;いまに、いつまでもいるの?成仏できない?心配で心配で、何のためかあるんだろう?</p><p class="ql-block">考えた末釣竿🎣だ(釣り竿の素材はカーポンの為、棺に入れなかった)。早速手作りで作り上げた。</p><p class="ql-block">まだ、子供の様に純粋という意味するカ−ドも出た、“今迄一緒にいる事を恋しい;音するのが自分の存在をアピールすると言う事だ”と解釈された、全体的に成仏出来ないことは示されてない。それを聞いてホッとした。</p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">手作りの竿が梨の上にのかって、供えてから、届こう!</p> <p class="ql-block">三人生活の記録。</p> <p class="ql-block">釣り歴50年(?)成績優秀(釣りサンデー)さばき腕も根気上等、但し、食べる堪能のは我が家の私だ。</p><p class="ql-block">刺身、フライ、たたき、きずし、洗い、細かい作業はキレイにこなせる、お吸い物と煮付けは私の番だ。</p><p class="ql-block">新鮮さは勿論、すべて丁寧に裁き、人との交流にもなった(物々交換、処理なしで貰う方も大変な助かり、我が家も助かる)</p> <p class="ql-block">診断される少し前。</p> <p class="ql-block">サバのきずしは勿論、おおあじが多量な時に、よくきずしにした。</p> <p class="ql-block">たたき</p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">おおあじの干物、切干大根とグリルし、仕上がりはブラスパクチー:私の好物。</p> <p class="ql-block">漁師の自家製お昼。</p> <p class="ql-block">一生一度の幻釣果(?):アコ(キジハタ)とヒラメ、型もよし。</p><p class="ql-block">2019.8.19ちっと父上の100歳誕生に気づいた!</p> <p class="ql-block">2019.8.19</p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">フライ、ハンバーグ、カレー🍛は彼の番。</p> <p class="ql-block">生酢し(きずし)をつける時間会わせるため、パジャマで作業中。</p> <p class="ql-block">毎年の“鬼は外、福は内”。</p> <p class="ql-block">新年明けましての御雑煮。</p><p class="ql-block">毎年彼が早起き、作ってくれた,</p><p class="ql-block">食べてからお寺へ(儀式かな?)。</p> <p class="ql-block">お家のクリスマス。</p><p class="ql-block">信仰は仏様だけど、食は日常のご褒美♨</p> <p class="ql-block">お家のブラックベリー(棚も立ってくれた)</p><p class="ql-block">思えないぐらいに豊作だった、亡くなった後の事だ。(お供えになった)</p> <p class="ql-block">接ぎ木してできたいちじく。</p> <p class="ql-block">庭木の姫リンゴ🍎</p><p class="ql-block">パイにした、彼の好物。</p> <p class="ql-block">今年のおせちは?パパが亡くなった後に息子に聞かれた。</p><p class="ql-block">私が作る初めから、親子二人は盛り付けやくになって貰った。</p> <p class="ql-block">三人の夕飯。</p> <p class="ql-block">二人の夕飯。好きな番組観ながら、愉しかった。</p> <p class="ql-block">マスク少ない時期、私の手作り。</p><p class="ql-block">布生地は100均のランチョマット。</p><p class="ql-block">糸をほどいてくれた。いろんな細かい、根気いるの手先が普通ではなかった。</p> <p class="ql-block">口数少なく、近寄り固い?けど、お花は素敵❗</p><p class="ql-block">お花やお野菜のたねや苗など買いに行ったり、育て(食卓まで)庭仕事に楽しんでいた。</p> <p class="ql-block">お正月の玄関。年末の恒例行事。</p> <p class="ql-block">石斛。彼が居なくなったの来年は~咲いてくれるだろうか?</p> <p class="ql-block">今年の簾梅。</p> <p class="ql-block">2020.10.15~21  </p><p class="ql-block">GO TO キャンペーンに乗り出した。</p><p class="ql-block">関空から仙台、それからレンタカーで東北紅葉狩🍁と温泉巡り。</p><p class="ql-block">仙台、松島、花巻温泉郷、田沢湖、十和田湖、奥入瀬、男鹿温泉、銀山温泉、鳴子峡~仙台から関空、ずいぶん荷物の重さを感じた:“今日の事を覚えとこう、十年後どうだろう?”荷物を持ちながら、期待にすると言い方して、仲良しの二人、言った私がそう感じた。</p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">仙台からレンタカー。ドライブルート検討中。</p> <p class="ql-block">朝一の出発。</p> <p class="ql-block">仙台のJR駅。</p> <p class="ql-block">すぐさま仙台牛タンのお昼。</p> <p class="ql-block">念願の“ゴジラ”。</p> <p class="ql-block">旅館の晩酌。</p> <p class="ql-block">男鹿温泉に着く、その日の夕飯を取った処。思い出は明晰だ。</p> <p class="ql-block">みのむしの革、工夫して、彼の手作りだ。蓑虫は住吉公園(?)</p><p class="ql-block">アイデアは高島屋のウェインドからそうだ。</p><p class="ql-block">会社の子にも、小物入れを作ってあけた。</p><p class="ql-block">通夜参列してくれた、仲がの良い女性社員の話が耳にはいた。</p><p class="ql-block">他人が真似できないの仕業😊?女性に持っていた、かわいがられた(?)私がそう思う😏</p> <p class="ql-block">彼が好んだか?</p><p class="ql-block">使いなれたものは暖かみと感じて?そこから抜け出したくない性分がある、</p><p class="ql-block">また、🎣釣竿や、使いなれた日用品など、壊れても、捨てずに使い、支障はないから、こういうやりかたが本人が喜んでいるとそう思った。</p><p class="ql-block">甘え方の別種でもある、と今はそう気づいた。</p><p class="ql-block">布巾づくりも彼の番だった、負けない様に家事しているよ、ご機嫌😃🎶な彼がいた。</p><p class="ql-block">蓑虫の👜はまだ彼らしいのも一面だ。</p> <p class="ql-block">大きな物置がガレージの再建の為、潰すと言った。買つた時に100万円かかったと聞き、彼にきれいにばらして組み立てをお願いした。(凄い)すべて順番、分類し,まだ一から組み立て上げられた。</p><p class="ql-block">70歳の時に出来た事;覚えてねぇ❗</p><p class="ql-block">と言われた🐾</p> <p class="ql-block">昨夜、息子がバイト行ってる間に、「新日本風土記」を鑑賞した(今回は松本清張のお話「昭和の旅」)それでこのアルバム集を作り上げの時が来たと気づた。</p><p class="ql-block">居なくて、いくら悲しくても…現実に彼と一緒に幸せだった事をずっと続く と自然にそう思っている;彼の写真、笑顔はこれから暖かいお家に続こうという事を今までよりやり易くなり、と自然な流れ?</p><p class="ql-block">自分に評価“凡夫”の彼(達彦さん)の事、私にとって、これで評価できた。</p><p class="ql-block">強がり、ひねくれた、人生の迷い時期もあったとしでもの彼が(?)、私の人生</p><p class="ql-block">の中に大きな一部が占めた。彼の物触れ、彼の温度を感じ;視線が当たるのすべて,彼の存在が鮮明である,胸に当てって、呟き:💓♥️❤️、ありがとう、強く生きていける。</p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">遺影と置き換えた家族との写真。</p><p class="ql-block">幸せ😃💕の三人組。</p><p class="ql-block"><br></p> <p class="ql-block">息子英英(生野貴之)の5.6歳の時。</p> <p class="ql-block">ここまでの道は平坦ではなかったけど,伴い事にありがとう💕✨魅力的なお方だった。</p>