<p class="ql-block"><span style="color: rgb(176, 79, 187);"> 2021年4月12日(月)、太原日本語サロンのメンバーら十人(家族二人含む)一行が2台の車で山西省交城県に向かい、中日友好横浜王村希望小学校を訪れた。</span></p><p class="ql-block"><span style="color: rgb(176, 79, 187);"> この学校は日本人の建設資金援助によって新生命を注入した希望小学校である。</span></p><p class="ql-block"><span style="color: rgb(176, 79, 187);"> 今回の活動は、サロンの梁海林さんが、資金援助当時、希望小学校の建設計画や開校の準備で日中間の橋渡しを務めたため、皆さんに提案して案内してくれた。</span></p><p class="ql-block"><span style="color: rgb(176, 79, 187);"> 日本国埼玉県の天野博仁先生(王徳貴、戎占平、呂慧卿、皺波と筆者の恩師)にこの度の活動のことを知らせた。先生はすぐに返信してくださった。メッセージの内容は下記のとおり。</span></p> <p class="ql-block"><span style="color: rgb(237, 35, 8);">日本国埼玉県の天野先生からのメッセージ</span></p> <p class="ql-block" style="text-align: center;"><span style="color: rgb(22, 126, 251);">2台の車が集まる麗華ホテルの前</span></p> <p class="ql-block" style="text-align: center;"><span style="color: rgb(22, 126, 251);">交城県王村に到着</span></p> <p class="ql-block"><span style="color: rgb(237, 35, 8);"> 中日友好横浜王村学校は農村モノレール制の完全な小学校で、夏家営鎮王村に位置し、国道307号線に隣接している。</span></p><p class="ql-block"><span style="color: rgb(237, 35, 8);"> 当学校は1958年に建設され、跡地は王村にある慈氏寺という古寺であったため、数十年の風雨の移り変わりを経て、校舎はすでに深刻に破損し、正常な教育などを維持するのが難しかった。</span></p> <p class="ql-block">前任校長の張さん(左3)</p><p class="ql-block">現任校長の郭さん(左4)</p> <p class="ql-block"><span style="color: rgb(22, 126, 251);"> 1999年の秋、日本国横浜日中友好協会の会員からの募集金やがバザーの収入で合計300万円(当時の為替レートで約21万元相当)を寄付し、それに王村村民委員会が13万元の集めた資金を合わせて、王村の村南、即ち現在の学校跡地に、2階建ての校舎と付属施設を新築し、翌年順調に完成し、しかも開校使用し始めた。</span></p><p class="ql-block"><span style="color: rgb(22, 126, 251);"> 学校の敷地面積は2302平方メートルで、建築面積は538平方メートルである。</span></p><p class="ql-block"><span style="color: rgb(22, 126, 251);"> 横浜日中友好協会からの援助に恵まれ、学校の発展は新しいページを開いた。</span></p> <p class="ql-block"><span style="color: rgb(176, 79, 187);">学生たちとの記念写真</span></p> <p class="ql-block" style="text-align: center;"><span style="color: rgb(176, 79, 187);">横浜日中友好協会の援助に関する当時の記念碑</span></p><p class="ql-block">王村学校建校碑记</p><p class="ql-block">民族振兴教育为先,教育基础设施,尤为重中之重,然王村小学却借破庙办学,条件甚苦,乙卯之春,万里之遥的日本国横滨日中友好协会捐赠三百万日元,重修王村小学,善事义举,堪称情谊深厚,从六月二日开工,历三月余,一座面积七百余平方米,设施较完备之学校于中秋收获季节顺利落成,学子雀跃,父老击节,中日友好,再添一笔,一砖一瓦当思物力维艰,一桌一椅当念来之非易,为民族振兴,为中日友好,莘莘学子当勤奋自勉,为使捐者芳名永驻,特勒石以铭</p><p class="ql-block">交城县义望乡人民政府</p><p class="ql-block">公元一九九九年九月廿八日立(王村学校当时命名为“中日友好横滨王村希望小学”)</p> <p class="ql-block">学校の二階</p> <p class="ql-block"><span style="color: rgb(22, 126, 251);"> 当学校の郭校長の話しによると、農村部では、郷を解体して鎭を合併するなどの政策の実施により、村町の建設は急速に発展してきた。</span></p><p class="ql-block"><span style="color: rgb(22, 126, 251);"> そのため、自然村で学校を再開することはできず、学生は自分の住まいによって、対応の鎭や県の学校で学習しなければならないようになった。この原因で当学校の学生人数は大幅減少した。</span></p><p class="ql-block"><span style="color: rgb(22, 126, 251);"> 現在、在学教師は10人ほどで、一年生から六年生までは20人前後しか残っていない。だから、あるクラスでは一人の先生が一人か二人だけの学生に対して授業をすることが多くなってきた。</span></p><p class="ql-block"><span style="color: rgb(22, 126, 251);"> この学校の希望と未来はどこにあるか、万が一この学校は存在不能になったらどうするか、郭校長は悩んでいるのだ。</span></p> <p class="ql-block"><span style="color: rgb(176, 79, 187);">授業中(窓ガラスを通して撮影)</span></p> <p class="ql-block">元王村の共産党支部委員会書紀の米さん</p> <p class="ql-block">郭校長</p> <p class="ql-block">交流</p> <p class="ql-block">副校長の王さん(国語先生兼)</p> <p class="ql-block"><span style="color: rgb(176, 79, 187);"> 当時、生徒たちとちょっと話しをした。彼らの話しでは、横浜王村希望小学校の今の優越な条件が備えるのが全く日本人の厚意こそあったのだと、よく知っているのだ。</span></p><p class="ql-block"><span style="color: rgb(176, 79, 187);"> これから、どこへ行ってもその恩を忘れることはできないのだ。それに、中日友好のために、少しさえでも自分の力でなにか役立ちにしたいと思う。</span></p> <p class="ql-block">交城県のレストラン</p> <p class="ql-block"><span style="color: rgb(22, 126, 251);">昼食代は、学校方面の負担にならないように、サロンの同行者らが割り勘で払った。</span></p> <p class="ql-block">太原に戻る途中、目に映った梨花</p>